グローバル化「後退」国、日本

最近、何かと「グローバル化」とか「多種多様化」とか「国際化」とか多言されますね。
では、これらの本当の意味は何か、という事を考えたことがありますか? それは、個人個人の「違い」をお互いに認め、民族・宗教・思想の違いを超えた共存共栄する社会を作り上げていくという事であるはずです。
戦時中の日本において、兵隊の靴は1種類しか作られず、足の大小にかかわらず、この靴を履かなくてはなりませんでした。合わないと言おうものなら、「足を靴に合わせろ!!」と一喝されたそうです。
真のグローバル化というのは、「足を靴に合わせる」のではなく「靴を足に合わせる」やり方が正しいのです。諸外国では、そういった政治に取り組んでおり、誰でも人間らしい生活ができるようになっています。
一方、日本はどうでしょうか? どちらかと言えば戦時中の「足を靴に合わせる」やり方ではないでしょうか。国会議員の選挙は大政党有利な小選挙区制にしようとしており、「日の丸・君が代」を強制する教育を推進しているのです。また、大阪では「独裁が必要だ!!」といわんばかりに強引なやり方で維新の会が暴走しています。まさに、「違い」を認めないばかりか、思想の「純粋化」を進めているのではないでしょうか。
これでは、日本はグローバル化「後退」国といわれても仕方が無いのではないでしょうか。「後進」国ではなく「後退」国なのです。遅れながらも良くなっているのではなく、遅れている上に悪くなっているのですから。